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書評

八木紀一郎著『ウィーンの経済思想――メンガー兄弟から20世紀へ――』ミネルヴァ書房2004.4.刊行

『経済セミナー』2004.8. No.595, 111

橋本努

 

 

 カール・メンガーに始まるオーストリア学派の魅力の一つは、世紀転換期のウィーンを舞台に知性のドラマを繰り広げた点にあるだろう。諸思想が乱流するハプスブルク帝国末期にあって、この学派は、高度にアカデミックであると同時に、イデオロギーの緊張関係をたえず意識してきた。メンガーと歴史学派、ベーム=バヴェルクとマルクス主義、ミーゼスと社会主義の対立、等々。オーストリア学派の論客たちに共通するのは、論争的な環境の中で自らの理論を練成していくという逞しい経験である。しかもその背後には、きわめて人間的な確執があった。本書は、とりわけメンガーとその兄弟、すなわち、長男マックス、次男カール、三男アントンの三人にスポットを当て、彼らの関係を様々な視点から再構成した労作である。これまであまり知られていなかった三者の人生を丹念に調べ上げ、それを時代の文脈のなかでスリリングに読み解いていく。またその眼差しはウィーンの文化的伝統に息づく感性を携えており、学説史研究の醍醐味を伝えている。読み物としても大変面白い。

 父親が急逝して苦学を余儀なくされたメンガー三兄弟は、いずれも法学博士号を取得するが、それぞれ異なる道を歩んでいく。長男マックスは、法律家を経て自由主義を信条とする政治家へ、次男カールは、ジャーナリストを経て限界革命の一翼を担う経済学者へ、そして三男アントンは、法律家や大学教授を経て社会主義思想の著述家へと、三者三様に大成していった。

政治家マックスの場合、最初は大土地所有者の特権を批判しつつ、労働者に制限選挙権を求める「青年派」の代表的人物として頭角をあらわすが、一八七三年に恐慌が起きると、今度は反資本主義的な心性から生まれた「キリスト教社会党」の政治と対立し、自由主義政治の守衛にまわることになる。彼は、スラブ系多数派に対するドイツ民族の政治力を守るという関心から、普通選挙の導入に反対し、この制度に民族グループの比率を安定させる条件を求めて、最後の抵抗を試みたのであった。しかしマックスの主義主張は、驚くほど一貫している。彼は自由と民主と民族の関係を深く洞察していた。本書は、その微妙な意味連関を、マックスの活動や著作を追いながら鮮やかに描き出している。

 オーストリア学派の創始者として名を馳せるようになる次男のカールは、一〇年以上にわたるジャーナリストとしての経歴をもつ。著者はその時期に書き留められた草稿類を猟歩しつつ、カールの思索を追跡している。とりわけ興味深いのは、カールが自らの主観的価値理論を展開する際に、幾何学的な思考法に拘泥して袋小路に陥ったという経緯だ。理論家の探求には最終的な解答には収まらない思考の幅がある。その幅を追体験する本書のドラマは、とても刺激的で興味が尽きない。

 三男アントンは、カールと同様にウィーン大学教授(民事訴訟法)となるが、思想的にはカールと対極に立って、財産制度の改革を主張した。カールは貨幣に注目して社会秩序の自生的・有機的な生成過程を説明するのに対して、アントンは所有権制度の成立が「強者による既得権の法的強化」にすぎないとして、その設計的な改造を求めたのであった。二人の対立から、カールはのちに主著『原理』の一部を修正することにもなる。しかし彼らの主張は、相補的に位置づけられるというのが著者の独創的な解釈である。